ワルトハイム元国連総長が死去=元ナチス将校の過去も <訃報>第4代国連事務総長、ワルトハイム氏死去 元国連事務総長・ワルトハイム氏死去 88歳 ナチス時代の派手な軍歴にかかわらず、南米に逃亡することもなく、また名前を変えることもなく、国連事務総長からオーストラリア大統領にまで昇りつめた事実は驚愕に値する。 クルト・ヨゼフ・ワルトハイム氏は、1918年にオーストリア南部に生まれた。青年になるとナチ学生同盟を経て突撃隊に入隊。戦争勃発後は、国防軍に徴兵され、ロシア戦線で負傷した。 復帰後の1943年頃に、E軍集団に配属され、ユーゴスラビアに情報将校として赴任する。その地で、戦犯として処刑されたレール将軍の部下として、パルチザンの掃討作戦に従事した。悪名高いバーダー戦闘集団の連絡将校となり、コザラ虐殺にも関与したとされる。 その後ギリシャにおいて、ユダヤ人の強制移送作戦を指揮。彼らの多くはアウシュビッツに移送され、二度と帰らなかった。 終戦後にワルトハイム氏は、オーストリアのケルンテルン州で、イギリス軍に降伏した。何故か戦争犯罪を追及されることもなく、オーストリア外務省に入省し、華々しいキャリアを歩んでいくことになる。当時アレン・ダレス率いるOSS(戦略情報局)は、戦後利用できそうな人材を戦犯リストから外す作業を行っていたことが知られている。またワルトハイム氏は、そのキャリアを通してソ連諜報部と関係があった形跡がある。米ソの陰からのバックアップがあればこそ、頂点まで上り詰めることができたのであろう。 ちなみにナチ疑惑が噴出する前の1979年には、何故かポール・マッカートニーと「カンボジア難民救済コンサート」(未DVD化)を企画し、成功させている。ルー・リードはアルバム「New York」に、「Good evening, Mr. Waldheim」という曲を収録しているが、その名の通り、ワルトハイム氏のことをテーマにした曲である。 彼の写真を見ると、実にハンサムで精悍で凛々しい、ゲルマン民族の鏡のようなお顔立ちである。特に陰鬱な目つきがいい。さぞかしナチの制服が似合ったことであろう。残忍で冷酷なナチの将校を、絵に描いたような人物である。 しかし自ら、残虐行為に手を染めることはほとんどなかったようだ。恐らく上昇志向の強い生粋の官僚的事務屋という感じだったのであろう。上から命令され、評価を得るためなら、強制移送だろうが、拷問だろうが、感情を交えずに何でもやっちゃう人だったのではないだろうか。冷酷なサディストというよりは、冷血な虚無主義者という表現の方がしっくりくる。アドルフ・アイヒマンに近いタイプか。 案外冷戦時代の国連事務総長としては、米ソ双方に裏で通じていた彼のような人物が理想的だったのかもしれない。もし国際政治のパワーバランスが少しでも崩れれば、第三次世界大戦が勃発していたかもしれない。本物のワルは、このようにして生き残るのである。 一応冥福を祈る。 Kurt Waldheim-Wikipedia, the free encyclopedia ナチ・ドイツ軍装読本―SS・警察・ナチ党の組織と制服
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