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help リーダーに追加 RSS 【国連事務総長】元ナチ将校のワルトハイム氏死去【オーストリア大統領】

<<   作成日時 : 2007/06/21 01:22   >>

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ワルトハイム元国連総長が死去=元ナチス将校の過去も
6月15日1時2分配信 時事通信

【ベルリン14日時事】国連事務総長とオーストリア大統領を務めたクルト・ワルトハイム氏が14日、心不全のためウィーンで死去した。88歳だった。DPA通信などが家族の話として伝えた。
 1918年12月、ウィーン近郊生まれ。第2次大戦に従軍後、ウィーン大学で法学博士号を取得。外務省に入り、カナダ大使や2度にわたる国連大使などを歴任した。
 72年に第4代国連事務総長に就任し、2期10年務めた。だが、86年に母国の大統領選挙に立候補した際、第2次大戦中にナチス・ドイツの将校だった事実が報道された。選挙には当選したものの、米国が入国禁止措置を取るなど、外国訪問の機会や要人来訪がほとんどなく、オーストリアの外交的孤立を招いた。 

最終更新:6月15日1時2分

<訃報>第4代国連事務総長、ワルトハイム氏死去
6月14日23時6分配信 毎日新聞

【ウィーン会川晴之】第4代国連事務総長で元オーストリア大統領のクルト・ワルトハイム氏が14日、心臓病のためウィーン近郊の自宅で死去した。88歳だった。5月末に高熱を出して入院するなど体調を崩していた。
 1918年にウィーン近郊で生まれ、第二次世界大戦に従軍した後、オーストリア外務省に入省。外相などを歴任した後、72年にウタント事務総長の後を継ぎ国連事務総長に就任、76年に再任され81年まで務めた。その後、86〜92年にオーストリア大統領を務めた。
 国連事務総長としては、ベトナム戦争やイラン・イラク戦争など多発する国際紛争の解決に尽力。79年のイラン学生による米大使館占拠事件の解決を目指してテヘラン入りするなど活動的な事務総長として知られた。
 オーストリア大統領選中に、第二次世界大戦前にナチスの青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」に加入、ナチス突撃隊の将校となった事実が判明した。当選後は、各国から「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定され、旧ナチス関係者の入国を禁じる米国は87年に「要注意人物」に指定した。戦争犯罪容疑者として国際社会から強い批判を浴び、6年間の大統領在任中、バチカン以外の国を公式訪問できなかった。
 その後の調査で、ワルトハイム氏は旧ユーゴスラビア戦線に従軍したものの、戦争犯罪に直接関与した証拠は見つからなかった。92年の大統領選への立候補を断念、引退した。
 今年3月にオーストリア大使の経験がある潘基文(バンギムン)・国連事務総長は、ウィーンを訪問した際にワルトハイム氏と面会。潘事務総長は「個人的訪問」と説明したが、ナチスの戦争犯罪を追及するユダヤ人団体から批判を浴びた。

最終更新:6月15日0時25分

元国連事務総長・ワルトハイム氏死去 88歳
6月15日8時0分配信 産経新聞

 ウィーンからの報道によると、国連事務総長を務めたクルト・ワルトハイム氏が14日、心臓疾患のため死去した。88歳。

 ウィーンで生まれ、68〜70年オーストリア外相、72〜81年国連事務総長を2期務めた。オーストリア大統領に就任した86年、バルカン半島で第二次大戦時にナチス・ドイツ軍の将校としてユダヤ人強制収容に関与した疑惑が浮上。将校であること以外は否定したものの、米国から87年、入国禁止処分を受けた。92年に大統領職を辞するも、入国禁止処分は生涯、解除されなかった。(ベルリン 黒沢潤)

最終更新:6月15日8時0分

 ナチス時代の派手な軍歴にかかわらず、南米に逃亡することもなく、また名前を変えることもなく、国連事務総長からオーストラリア大統領にまで昇りつめた事実は驚愕に値する。
 クルト・ヨゼフ・ワルトハイム氏は、1918年にオーストリア南部に生まれた。青年になるとナチ学生同盟を経て突撃隊に入隊。戦争勃発後は、国防軍に徴兵され、ロシア戦線で負傷した。
 復帰後の1943年頃に、E軍集団に配属され、ユーゴスラビアに情報将校として赴任する。その地で、戦犯として処刑されたレール将軍の部下として、パルチザンの掃討作戦に従事した。悪名高いバーダー戦闘集団の連絡将校となり、コザラ虐殺にも関与したとされる。
 その後ギリシャにおいて、ユダヤ人の強制移送作戦を指揮。彼らの多くはアウシュビッツに移送され、二度と帰らなかった。
 終戦後にワルトハイム氏は、オーストリアのケルンテルン州で、イギリス軍に降伏した。何故か戦争犯罪を追及されることもなく、オーストリア外務省に入省し、華々しいキャリアを歩んでいくことになる。当時アレン・ダレス率いるOSS(戦略情報局)は、戦後利用できそうな人材を戦犯リストから外す作業を行っていたことが知られている。またワルトハイム氏は、そのキャリアを通してソ連諜報部と関係があった形跡がある。米ソの陰からのバックアップがあればこそ、頂点まで上り詰めることができたのであろう。
 ちなみにナチ疑惑が噴出する前の1979年には、何故かポール・マッカートニーと「カンボジア難民救済コンサート」(未DVD化)を企画し、成功させている。ルー・リードはアルバム「New York」に、「Good evening, Mr. Waldheim」という曲を収録しているが、その名の通り、ワルトハイム氏のことをテーマにした曲である。
 彼の写真を見ると、実にハンサムで精悍で凛々しい、ゲルマン民族の鏡のようなお顔立ちである。特に陰鬱な目つきがいい。さぞかしナチの制服が似合ったことであろう。残忍で冷酷なナチの将校を、絵に描いたような人物である。
 しかし自ら、残虐行為に手を染めることはほとんどなかったようだ。恐らく上昇志向の強い生粋の官僚的事務屋という感じだったのであろう。上から命令され、評価を得るためなら、強制移送だろうが、拷問だろうが、感情を交えずに何でもやっちゃう人だったのではないだろうか。冷酷なサディストというよりは、冷血な虚無主義者という表現の方がしっくりくる。アドルフ・アイヒマンに近いタイプか。
 案外冷戦時代の国連事務総長としては、米ソ双方に裏で通じていた彼のような人物が理想的だったのかもしれない。もし国際政治のパワーバランスが少しでも崩れれば、第三次世界大戦が勃発していたかもしれない。本物のワルは、このようにして生き残るのである。

 一応冥福を祈る。

Kurt Waldheim-Wikipedia, the free encyclopedia


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ナチ・ドイツ軍装読本―SS・警察・ナチ党の組織と制服
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