<奈良高1放火殺人>動機は「説教や殴る父に憎しみ、母も」 偏執狂とは何か。 Yahoo!辞書には「一つの事に異常に執着し、病的な態度を示す人。モノマニア。偏狂。へんしつきょう。」とある。 もう少し範囲を広げて考えると、神経質、真面目すぎる性格、過度な厳格さ、潔癖症などの特徴を網羅することが可能になると思う。 悪い人ではないけれど、困った人、一緒にいたくない人、絶対に友達にはなれない人。 皆さんの周りにも、必ず一人や二人はいることでしょう。 わかりやすい特徴を挙げるとだいたい以下のようになるかと思う。 周囲の評価はあくまで生真面目で努力家。勤勉で勉強や仕事はよくできる。時間に正確、ミスが少ない、細かいところによく気が付くなどなど。こうして書いてみると、とても優秀な人間に見えるが、問題はそれが全てにおいて過剰なことと、すぐにキレることである。 モノがずれているとキレる、時間に遅れるとキレる、些細なミスを見つけてキレる、などなど。 また常識的にみて過度な倫理観を持ち合わせており、他人に対する執着心と支配欲が強い。他人にも自分の価値観を強要し、服従させようとする。 人間は常に向上心を持た「ねばならない」。努力せ「ねばならない」。全力を尽くさ「ねばならない」。一番になら「ねばならない」。自分がこうして日々努力しているのに、何故あなたは私のような生き方をしないのか。「ねばねば」とまさに粘着質。 ただ単に偏狭で、自分と他人との違いを認めることができず、自分の考えを他人に強要しているだけなのだが、本人はあくまで良心と義務感に基づいて行動しているので始末が悪い。 そして執着する対象以外の人物に対しては、とことんシニカルな態度を取る。どうせ奴らはバカだから何もわからないのさ。ほっときゃいいさ。彼らに対する態度は悪くないので、たいていの人はだまされてしまう。しかし少々観察力があれば、微妙に釣り上がった目と、引きつったような笑顔に、何かおかしいと感じるに違いない。 ある種のDV男がこのタイプであることは言うまでもない。5分ごとに電話してくる。勝手に門限を決め、家の前で待っている。他の男と話すな、派手な服を着るな、酒を飲んで酔うな、あれをやるな、これをやるな。キレると当然暴力を振るう。 ジュリア・ロバーツ主演の「愛がこわれるとき」という映画では、DV夫が、並んだタオルが少々ずれているのを見て、ジュリアをぶん殴るというシーンがあった。粘着質で執念深いので、逃げてもどこまでも追いかけてくる。 服装は常に一分の隙もない。清潔でこざっぱりとしており、ワードローブはごく普通のもの。 しかしよく見るとどこかおかしい。何か足りない、でも何が悪いのかよくわからない。 常に洗濯とアイロンがけを怠らないが、白しか着ない。夏でも長袖を着込み、シャツのボタンを喉元まで締めている。女性なら、必要最小限のワードローブのみでアクセサリーを一切しない、などなど。オシャレというわけでもないし、コンプレックスを隠そうとしているわけでもない。 常に整理整頓、きれい好き。部屋はきちんと整えられている。しかしやっぱり何か足りない。 脱いだ服が散らかっていることもなければ、ポスターも貼っていない。どことなく空虚で、息が詰まりそうになる。 ロバート・B・パーカー作「ユダの山羊」という探偵小説には、白黒で左右対称の部屋に住み、服も全てモノトーンだが、極彩色の下着を着けた、色情狂の女テロリストが登場する。スペンサーの恋人で精神科医のスーザン曰く「硬直し抑圧された性格の持ち主」。 逆に著しく汚いなりをしている場合は、ロリータ・コンプレックスの可能性が高い。幼児性と執着という意味で根は同じで、コインの裏表の関係にあるといえる。 アルコール、タバコはやらず、健康にも気を使う。食事は粗食や健康食を好む。あるいはあまり気にしない。美食家でもなければ、庶民的グルメでもない。夜更かしはせず、朝は早い。運動能力に優れていれば、著しく優れている。逆に優れていないとわかれば、見向きもしない。両極端。運動音痴で痩せていても、力が異様に強い。 恐らく父親が似たようなタイプで、過度に厳格に育てられることが原因となるのであろう。もちろん元々の資質が最大の要因となる。強大な父性の元で、高い上昇志向、一面的な倫理観、過剰な自意識と強力な支配欲が養成される。幼児性は歪んだ生育環境の賜物だ。 母親は当然、父親に絶対服従。女性とは皆そういうものだと思い込んでしまう。そのため恋愛観と性的倫理観は、自己中心的で男性至上主義的になる。女性には強い男として魅力的に映るであろう。しかし結婚したりすると必ず後悔することになる。ただしこれは父と息子の場合。ちなみに以前テレビで、娘が勉強する姿を、母親が何時間も、後ろから正座してじーっと見つめているというケースを見た。大変興味深いのだが、今回はパス。 たいていは、「あの人なんか嫌だよね」「うざいよね」という調子で嫌われるが、キレると怖いので逆らえない。たまに同調する人間がいて厄介だ。しかし親友と呼べる人間はいない。 もちろん嗜好や程度、執着する対象には個人差がある。あくまで傾向であるので、誰でもそういう部分の一つや二つは持ち合わせているといえる。問題は現実的な脅威となるか否かである。単なるマニアやオタクとは一線を画するべきである。 ちなみに私の中学時代の教師も、まさにこのタイプの人間であった。 担当は体育で、厳格な教師として内外で有名であった。 切れ上がった目に分厚い眼鏡は、それだけで恐ろしい。声がでかくて怒ると怖い。 普段はとても穏やかで、理路整然かつ精緻な授業を展開するのだが、部活の時間になると甲高い声で怒鳴り散らし、ケアレスミスに対して、何故ミスをするのかと生徒を問い詰め、挙句の果てに職場放棄して帰ってしまう。 技術はあるが、それ以上に精神至上主義的で、何かというと生徒に対して、努力不足、やる気がないとなじる。しかし生徒の方は普通に練習しているつもりでも、やる気がないと言われ、帰られてしまうと如何ともしがたい。 中学校の部活であれば、多少の厳しい指導は当然ではないか、と思われかもしれない。しかし厳しい指導とヒステリーの違いくらいは、誰にでも見分けがつく。彼の場合、ただ単に自分の思い通りにいかないことがあると、プチッとなってしまうだけであった。 ある日、体育の授業の冒頭で「裾が出ていると動きにくい、ブルマが裾で隠れるとエロティックである」という常人には誠に理解しがたい理由で、男女ともに体育着の裾はズボンまたはブルマの中にきちんと入れるように、というお触れを出した。 もちろん生徒はみなドン引きであった。見た目が著しくダサくなるので、男子はともかく女子は皆嫌がったが、結局従った。おっかないので誰も反抗できなかった。恐らく職員室でも同様だったのであろう。多少は自分の好みもあったに違いない。ある種の羞恥プレイと言えるだろう。ずれた倫理観と、女性蔑視および歪んだ性欲を、一挙に満たすことができてさぞかし満足だったと思う。当時はまだセクハラという言葉が普及していなかったが、女子生徒に触っているのを何度か見たことがある。 こういう人物が周囲にいた場合、アダルト・チルドレン(もはや死語か?)的な性格の人間がもろに被害を受ける。あるいは親が偏執狂的人間だった場合、子供はACになる可能性が高い。 精神至上主義的で、能力以上の結果を要求し、反論しようのない単純な倫理観に基づいて、暴力を伴う過度な躾を行うため、子供は万事において自分が悪いものだと思い込んでしまう。 勉強ができないのは、自分の勉強時間が足りないせいだ。スポーツができないのは、自分の努力が足りないせいだ。計算を間違えたのは、自分の集中力が足りないせいだ、云々。強度の自信喪失状態に陥るが、それでも親の要求に応えようとする。 もちろん親と似たような性格であれば、完全に馴染んで、同じような人間に育つ。あるいは逆に猛烈に反抗するかもしれない。 しかし気が弱く、中途半端に優しい性格だと、今回の事件ように親の教えを忠実に守り、耐えて耐えて耐え忍んで、ある日いきなり爆発するという事態になる。実に救いがたい。 ちなみにこのブログで何回も登場するテキサスタワーの狙撃魔、チャールズ・ホイットマンの父親は、まさにこのタイプであった。 日本人は、こういう人間が一人いると、周囲の人間皆が引きずられる傾向にあるので注意が必要だ。 もちろん上昇志向自体は悪くないので、多少の常識と、他者への寛容の精神さえ持ち合わせていれば、例えばスポーツなどでは大成することも多い。イチローや中田英寿はその成功例であろう。一歩間違えた例が、貴○花親方か。この辺りは実に紙一重かもしれない。 さて、今回の事件であるが、父親が16歳の長男をICUと称する勉強部屋に閉じ込め、自ら勉強を教えていたということである。時には暴力も振るった。また床屋について行き、髪形の指定をしていたという話もある。明らかに常軌を逸している。 問題はこの「常軌を逸している」という点で、例えば父親が酒を飲んで暴力を振るったとなれば、明らかに父親に非があると判断されるであろうが、今回のケースで外部の人間が、この医師の行為に対して倫理的に「クロ」であると判断することが果たして可能であったか。もちろん息子は相当な苦痛を感じていたわけで、今にしてみれば明らかに虐待なわだが、勉強を教えていると言われればそれまでで、外部の人間が対処することは困難であろう。母親も恐らく父親を恐れていたに違いない。 われわれは障害される人間については臨床用語をもっているが、障害を与える側の人間については表現をもっていないのである。(「狂気と家族」R. D. レイン) 結局のところ長男本人が「このクソおやじ、ぶっ殺してやる」と言いつつ、竹刀で突きの一つでもくらわせるのが、問題解決の唯一の道であったと思われるが、残念なことに、口を出す前に火をつけてしまった。父親に対しては、家族を殺すよりも、その一言の方がよほど効果的であったに違いない。しかし父親に面と向かって反抗することはできなかったし、その機会は永遠に失われてしまった。内なる恐怖に立ち向かうことができるのは、誰でもない自分自身だけなのだ。父親に対する恐怖を克服できないのであれば、その事実を認めたうえで、何らかの逃避手段を考えるべきであった。他にどうしようもなかったと言うには、3人の死は重過ぎる。 「なにも、ぼくが悪いんじゃないよ」 「そう、まだ今のところは。しかし、なにもしないで人から見放された状態に落ち込んで行ったら、それはお前が悪いんだ。おまえはもう一人の人間になりはじめる年齢に達している。それに、自分の人生に対してなんらかの責任をとりはじめるべき年齢になっている。」(「初秋」ロバート・B・パーカー) 長男は少なくとも母親と幼い兄弟を巻き添えにするべきではなかった。この点だけは容認しかねる。苦痛のはけ口を弱い者に向けてしまったのは、いかにも親子らしいと言わざるを得ない。 被害者のご冥福をお祈りします。 |
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<奈良高1放火殺人>父が週1、2回暴力 勉強の指導中に
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湘南のJOHN LENNONの独り言 2006/07/02 17:01 |
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