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杉本博司氏は現在ニューヨーク在住で、世界のモダンアートシーンで絶大な評価を受けている写真家だそうな。実は「レスター手稿」同様に、映画のついでに寄っただけなので、予備知識皆無の状態で拝見した。 実際のところ、途中まで写真家だとは気付かなかった。最初の展示室のオブジェで、ろくに解説を読みもせず彫刻関係の人だと思い込んでしまった。次の「ジオラマ」シリーズも類人猿が歩いていたりして、何がいいのかよくわからない。コンセプトはいまいちチープな気がするし、写真自体眺めていても何の感慨も催さない。プラモデルでも昔から似たようなことをやっているが、どちらが先なのか? しかし「海景」シリーズあたりから何となく調子が出てきた。どの写真も空と海で画面を半分ずつ上下にぶった切っている。構図が全く同じながらどの写真も微妙に違う。 「松林図」を眉をしかめて眺めていると、どことなく見覚えのある模型を発見する。何のことはないガラスの階段ではないか。香川県の直島では、島自体を舞台にアートプロジェクトを展開している。その島の護王神社のお社である。小さな本殿から地下へと階段が延びているのだが、その階段というのが一枚の石とガラスで構成されている。以前その地下内部の写真を観た時は唸った。神社でこんなことやって大丈夫なのかと思ったが、その設計者が杉本氏であったとは。ちなみに京都にも護王神社という神社があるが全くの別物らしい。 最後の「建築」シリーズを観ていて思いついたのは、私の敬愛するキリコであった。時間の経過を云々というコンセプトもキリコに通じるものがある。ここに至って「ジオラマ」の類人猿なども妙にヒップに思えてきた。 解説をよく読んでコンセプトを理解しないと、私のような初心者にはわかりづらいであろう。ピンボケの写真だけ見せられても、コメントしがたい。しかし「ジオラマ」や「劇場」シリーズの白の眩しさは、今でも目に焼きついている。かつて感じたことのない複雑というか、微妙というか(ネガティブな意味ではなく)、あるいは虚無感(これもいいいい意味)のようなものを感じた。 会場で販売している写真集はなんと\6000であった。当然買う金はなかった。「ブルータス」だけでも買ってくればよかった。 MORI ART MUSEUM[杉本博司 時間の終わり] 歴史の歴史
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