ブログの悪魔

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 【カミソリ】後藤田正晴氏死去【ハト派】

<<   作成日時 : 2005/09/23 02:52   >>

トラックバック 3 / コメント 0

訃報 後藤田正晴さん91歳=元官房長官、副総理・法相
 
 中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理・法相などを歴任、引退後も政界の御意見番として発言が注目された後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)氏が19日午後8時53分、肺炎のため、東京都文京区の順天堂医院で死去した。91歳。密葬は親族のみで済ませた。お別れの会を東京と徳島で行うが、日程などは未定。自宅は東京都渋谷区広尾4の1の17の506。喪主は妻侑子(ゆうこ)さん。
 1914年、徳島県美郷村(現吉野川市)生まれ。東大法学部卒業後、39年旧内務省入省。69年警察庁長官。退官後の72年、田中角栄首相(当時)に請われて官房副長官(事務)を務めた。74年の参院選で徳島選挙区から立候補して落選。76年から衆院議員(徳島全県区)に7期連続当選。96年に政界を引退した。
 大平内閣で自治相、中曽根内閣で官房長官(通算3期)、初代の総務庁長官、宮沢内閣では副総理・法相を務めた。
 田中元首相の「懐刀」、中曽根康弘元首相の「知恵袋」と呼ばれた。鋭い洞察力や歯にきぬ着せぬ発言から「カミソリ後藤田」の異名をとった。
 一方で、87年のペルシャ湾への掃海艇派遣問題では中曽根首相(当時)に苦言を呈し派遣をやめさせるなど、戦前の体験から自衛隊の海外派遣は「アリの一穴」と懸念し、慎重論を唱え続けるリベラルさも併せ持った。89年のリクルート事件後は政治改革を提唱。宮沢内閣では副総理として衆院選挙制度改革の実現に向け、自民党と内閣の調整役を務めた。宮沢喜一首相の後継総裁選では、党内で出馬を求める声も出たが、高齢などを理由に固辞した。
 政界引退後も危機管理などを中心に、歴代内閣の指南役として活躍。「内閣官房長官」「政治とは何か」などの著作のほか、新聞・雑誌で健筆を振るった。
 最近は、小泉純一郎首相の靖国参拝に批判的な議員でつくる「靖国問題勉強会」の7月の初会合に講師として出席し、「小泉首相に参拝の再考をお願いしたい」などと力説した。
 事務所関係者によると、8月に別の病院で定期検査を受けて肺に影が見つかり、内視鏡検査を受けた後に容体が急変。8月下旬に転院し、面会謝絶の状態が続いていた。
(毎日新聞) - 9月21日17時34分更新


 総選挙での自公連立圧勝直後の訃報である。これも因果か。
 議員時代は毎朝机の上に、全国の警察からのマル秘情報の書類が載っていたという噂がある。何だかかつてのFBIのフーバー長官を髣髴とさせるが、もちろん後藤田氏は彼のような偏執狂ではなかった。旧内務省出身で、警察庁長官時代から主に危機管理の分野で辣腕を振るい、自民党内にあってリベラル派という実にバランス感覚に優れた稀有なキャラクターの政治家であった。戦争に対するスタンスは、戦時中の経験と官僚としての国民に対する責任感に基づくものであろう。まあ考え方にいろいろ違いはあるにせよ、戦後を代表する政治家の一人であることに意義を挟む者はいまい。
 冥福を祈る。

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(3件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
カミソリ後藤田逝く
総選挙で歴史的大勝を果たした小泉自民党ですが、全員留任した第3次小泉内閣がスタートしました。相変わらずテレビは刺客や棚ぼた当選の議員を面白おかしく取り上げていますが、彼らが立派な代議士となって活躍してくれることを心底祈っています。(やっぱりと思わせないで.... ...続きを見る
社長の本音日記
2005/09/23 09:24
無くした舵
吹奏楽界では有名なアルフレッド・リード氏、 安売り商法の雄・ダイエーの中内功氏、 最近訃報続きで、どうも滅入る。 そして後藤田正晴氏が91歳で亡くなった。 ...続きを見る
   ニ ュ ー ヨ ー ク ・ ブ ロ...
2005/09/24 21:37
惜しい人の死
後藤田正晴さん死去:「カミソリ後藤田」最期まで 平和、護憲を説き続け(毎日新聞 2005年9月21日) ...続きを見る
NOPOBLOG
2005/10/13 23:34

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文